尻フェチ海鮮丼イーターのメモ

異性のお尻と海鮮丼が好きなキモ男です。普段考えていることを気の向いた時に書いていきます

ビー玉

 高校1年生の時、7月半ばの古典の授業で宇治拾遺物語の『渡天の僧穴に入ること』というのをやった。物見遊山していた唐の僧が山の斜面に穴を見つけて、その穴の中に牛が入っていき、それに続いて奥へ進んだ。穴の中には花の咲き乱れる別世界が広がっていて、そこに咲く花を食べてみたところ、天の甘露のごとく感じられるような味がした。心ゆくまでその花を食べた僧は肥え太ってしまい、元の穴から出られなくなって死んでしまったという内容で、小学生の思いつく程度の,どこまでもつまらない創作だなとだけ思った。

 土曜日だったから昼過ぎには授業が終わり、放課後になると友人のSというのが話しかけてきた。彼はお世辞にも勤勉だとは言えないが、優秀な頭脳を持っていた。とりわけ数学と物理学の成績は校内で一二を争う水準だった。彼とは普段から「もしもこの世に数字の概念がなかったら何が起こるか」「人間以外の生物が現在台頭していた可能性の検討」といった取るに足らない議論を重ねていて、この日も案の定であった。

 「今日の古典の話はつまらなかったね。ああいう非現実的な話は古典の世界によくあるけど、非現実的と言えば、もしも自分が突然猫になったらどうする。」

 「そんなことは知らないが、もしも自分が動物になれば間違いなく苦労するよ。第一に僕は愚鈍だから、猫のように塀の上や側溝の下を上手く渡り歩けないだろうね。」

 「愚鈍というのは頭の働きについて言う言葉なのに変だね。お前が言っているのはどちらかと言えば運動神経に類するものだと思うけど。」

 「僕と話さないで辞書とにらめっこしていたら良いのに。」

 「悪かった悪かった。それで自分が猫になったら何が最も困ると思う。」

 「一番は餌である魚を食べるのに苦労するだろうね。四足歩行の状態で魚の骨を取り除くのはどうにも難儀だと思う。鮭や鰈みたいに骨が太くて少ないとまだ良いんだけども、鯵や鯖や鰯ときたら、まあ厄介だ。」

 「この時世に猫が生魚を齧るなんてのもイメージがつかない。今時の猫はキャットフードしか食べないような気がする。」

 「空想なんだから、ムキになって現実を持ち込まなくたって良いじゃないか。理屈屋が空想に手を出すのは良くないと思うよ。僕は君のことが気に入っているからこういうつまらない争いがあっても気にしないけど。」

こんな調子で話を続けたが、真夏の昼間に狭い教室で30分も話していると全身の関節に泥がまとわりつくような感覚に襲われ、冷房の効いた自室で一休みしたくなったため、空想についての不毛な議論を打ち切って教室を後にした。とは言え、結局帰り道でも先程と同じことを考えていた。猫になった自分の生活を考えながらぼんやりと歩いたせいで、殆ど無意識の内に通学路の折り返し地点にまで差し掛かっていた。軽自動車が1台通るのがやっとだというような住宅街を歩いていると、1軒だけ玄関のドアを開け放している家が目に入った。どういうわけか近付くまでまったく気付かなかったのだが、玄関を出たばかりのところに老婆がいて、首輪のついた三毛猫にキャットフードを与えていた。歩みを止めて食事中の猫を眺めると、猫は一瞥だけ寄越してまた餌を頬張った。ほんの一瞬こちらに向けられた猫の冷たい視線が意味ありげに思えたが、まるでそのことを考えるなと言わんばかりのタイミングで老婆が話しかけてきた。

「猫、好きなの。」

 年寄り特有の,歯の隙間から漏れるような発声だったから、はじめは何を言われたのか分からず、少し間をおいて「そうなんですよ。」とだけ答えた。

「ただ、その猫が元々は人間だったのではないかというような気がして見入ってしまいました。」などと小説のように気の利いた返答ができるはずもなく、無難な返事をした。

老婆が先程の三毛猫と同じような視線と困惑の顔色とを僕に向けてきたように思ったが、ふと頭頂に強い日差しを感じてその場を離れた。去り際には彼らに一瞥もしなかった。

しばらく歩いて 家の近くの小川に着いて、学生服のまま川べりに座り込んで水面を眺めていたらアメンボが何匹か滑って行った。アメンボの元いた所の川底で何か光ったように見えて、惹き付けられるようにして川の中に足を踏み入れた。気付くと青いガラス玉が僕の手の中で転がっている。僕は川に足を浸しながら身動きもせずじっとしていた。いつの間にか強く握り締めていた手をもう一度開いて見ると、やはり青いビー玉が小刻みに転がっていた。